2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「チェンジリング」

goo映画より

1928年。ロサンゼルスの郊外で息子・ウォルターと幸せな毎日を送る、シングル・マザーのクリスティン。だがある日突然、家で留守番をしていたウォルターが失踪。誘拐か家出か分からないまま、行方不明の状態が続き、クリスティンは眠れない夜を過ごす。そして5ヶ月後、息子が発見されたとの報せを聞き、クリスティンは念願の再会を果たす。だが、彼女の前に現れたのは、最愛のウォルターではなく、彼によく似た見知らぬ少年だった。


チェンジリング
★★★★★

・硫黄島の頃から、イーストウッドの映画が分かり易くなってきている気がするんだけど、気のせいか。ただ題材が分かり易かっただけということか。「許されざるもの」や「ミリオンダラー・ベイビー」、特に「ミスティック・リバー」のような、深いのだけど、深い映画ということを知っての上でも、この映画はこれこれだみたいに判断すると、全然、的外れだったりするような、そういう伝わりにくい側面が薄らぎ、よりストレートに、万人に分かるように作劇するようになってきている気がする。
・本作では、LAPD側の姑息さ、悪質さと、それに虐げられるアンジェリーナ・ジョリー側の対立が、実に分かり易い。ぐいぐい畳み掛けてくる。これは題材自体が持つ強みであって、普通のフィルム・メーカーでもこれくらいはできるのかも知れないが、やはりうまくできていると思う。劇場で、後ろの列で見ていたおばちゃん3人組が、非常にLAPDに憤慨しつつ見ていた。
・それだけに犯人が捕まったとき、裁判の時のカタルシスは極上。
・精神病院で主人公に助言をする娼婦さん。彼女が病院から出られたときにかわす視線のやり取りも、胸がスーッとする。
・だが映画はそこでは終わらない。その点がイーストウッドらしいといえばいえる。「希望」を持っている姿で映画がようやく終わるが、本当に希望はあるのか、希望を持たされるのが本当に幸せなことなのか? 希望を捨ててはいけないとイーストウッドは言ってるのか? いや、言ってるのだろう。これは、「ミスティックリバー」の時も、「ミリオンダラーベイビー」の時も、並行的な作りで見せ付けられてきたイーストウッドのスタンすだと思う。
・だからこそ、それは人間にとって、かなりキツイことなんじゃないの? と彼の映画を見るたびに思ってしまうのである。映画はよくできていて星5つだけど、毎度のことながらイーストウッドのスタンすには、なじみ切れないなと思うのだった。

(2009/2/20)

コメントの投稿

非公開コメント

フリーエリア
最近の記事
カテゴリー
FC2カウンター
ブログ内検索
RSSフィード
リンク