「7つの贈り物」
男の名前はベン・トーマス。ベンは7人の名前が載ったリストを持っている。彼らは互いに何の関係もない他人同士。ベンは彼らに近づき、彼らの人生を調べ始める。そして、ある条件に一致すれば、彼らの運命を永遠に変える贈り物を渡そうとしている。ベン・トーマスとは何者なのか?彼の目的は何なのか?そして、贈り物の中身とは…?
★★★
・自殺を実行し、死に掛かっている段階で、本人が救急車を呼んでいる。そういう謎めいたシーンから始まり、男が何をしようとしているのか、どんな人物なのか、なぜそういうことをしているのかが、徐々に明かされていく展開。
・ではあるのだが、ヒントが多すぎて、ほぼ半分辺りでおおよそが分かってしまう。そして、その段階から、ストーリーも主人公とヒロインの恋愛関係に中心を移してしまう。
・原題が7 pounds 「7ポンド」。ベニスの商人の体の肉を売る話にかかっているらしい。なら、もうネタバレしているようなものではないか。
・自殺するのは勝手だが、せっかくのカラダだ、無駄にはするなよ、というのは、面白いといえば面白い。だが、そういう話題だけに、主人公も暗く、物思いに沈む表情しか作れないわけで、やりにくいと言うか、あまり魅力を発揮できないだろう。
・これは感動物語ではないはずだが、劇場ではすすり泣く声が聞こえ、どうしてかと思う。いや、映画自体、感動物語風な語りをしているからしょうがないか。
・というか、ずいぶん、カラダを切り刻んでるんだが、Hできるほど健康でいられるものなのか?
・助けるに値する人間かどうか、それを自分で確かめて歩き、こいつなら良いというヤツを助けてやる。こういうストーリーは、よくよく考えると、非常に深い話になりそうで面白いのだが・・・
(2009/2/24)
「チェンジリング」
1928年。ロサンゼルスの郊外で息子・ウォルターと幸せな毎日を送る、シングル・マザーのクリスティン。だがある日突然、家で留守番をしていたウォルターが失踪。誘拐か家出か分からないまま、行方不明の状態が続き、クリスティンは眠れない夜を過ごす。そして5ヶ月後、息子が発見されたとの報せを聞き、クリスティンは念願の再会を果たす。だが、彼女の前に現れたのは、最愛のウォルターではなく、彼によく似た見知らぬ少年だった。
★★★★★
・硫黄島の頃から、イーストウッドの映画が分かり易くなってきている気がするんだけど、気のせいか。ただ題材が分かり易かっただけということか。「許されざるもの」や「ミリオンダラー・ベイビー」、特に「ミスティック・リバー」のような、深いのだけど、深い映画ということを知っての上でも、この映画はこれこれだみたいに判断すると、全然、的外れだったりするような、そういう伝わりにくい側面が薄らぎ、よりストレートに、万人に分かるように作劇するようになってきている気がする。
・本作では、LAPD側の姑息さ、悪質さと、それに虐げられるアンジェリーナ・ジョリー側の対立が、実に分かり易い。ぐいぐい畳み掛けてくる。これは題材自体が持つ強みであって、普通のフィルム・メーカーでもこれくらいはできるのかも知れないが、やはりうまくできていると思う。劇場で、後ろの列で見ていたおばちゃん3人組が、非常にLAPDに憤慨しつつ見ていた。
・それだけに犯人が捕まったとき、裁判の時のカタルシスは極上。
・精神病院で主人公に助言をする娼婦さん。彼女が病院から出られたときにかわす視線のやり取りも、胸がスーッとする。
・だが映画はそこでは終わらない。その点がイーストウッドらしいといえばいえる。「希望」を持っている姿で映画がようやく終わるが、本当に希望はあるのか、希望を持たされるのが本当に幸せなことなのか? 希望を捨ててはいけないとイーストウッドは言ってるのか? いや、言ってるのだろう。これは、「ミスティックリバー」の時も、「ミリオンダラーベイビー」の時も、並行的な作りで見せ付けられてきたイーストウッドのスタンすだと思う。
・だからこそ、それは人間にとって、かなりキツイことなんじゃないの? と彼の映画を見るたびに思ってしまうのである。映画はよくできていて星5つだけど、毎度のことながらイーストウッドのスタンすには、なじみ切れないなと思うのだった。
(2009/2/20)
「少年メリケンサック」
メイプル・レコード新人発掘部門のかんなは、会社退職予定のその日、動画サイトに投稿されたパンクバンド、少年メリケンサックに釘付けになる。イケメンギタリストがギンギンに弾きまくり、凶暴なパフォーマンスでファンを熱狂させているのだ。早速、バンドとの契約に乗り込むと、そこにいたのはイケメン青年ではなく、昼間から酔っ払ったオッサン。動画に投稿されていたのは25年前のライブ映像で、メンバーは50代になっていた!
★★★ほ
・★3つよりは良いんだが、★4つまではどうかと思って「ほ」と書いておく。
・主人公は、メリケンサックの4人のオッサンたちなのか、それとも宮崎あおいなのか? おそらく、宮崎が主人公。と、そう考えて振り返れば、楽しくよくできた映画だったのかもしれない。
・それほどまでに、宮崎あおいのコメディ演技は宮藤官九郎のセリフに乗ってリズミカルに飛んでいた。表情もくるくる変わる。特に、佐藤浩市やユースケサンタマリアとのやり取りなど。
・佐藤浩市も、安心して見ていられた。
・でも、肝心の「少年メリケンサック」という中年バンドが何をしたのかと考えると、なんだっけと記憶から飛んでいるのだった。一応、映画的に終盤に盛り上げるためには、このバンドが一皮向けて復活するところがヤマになるはずなのではないか。だが、そこに至るまでが、中途半端になっていて、さっぱり盛り上がらない(画面の中では盛り上げようとはしているのではあるが)。
・宮崎演じる「がけっぷちのOL」のジタバタが主題とも思えない。
・前半はコメディ主体でどんどん乗せていって、どこかで転機を与え、終盤にかけてぐいぐい盛り上げる。そうやって、「若い頃は大人から笑われ、今はガキどもに笑われる」オチこぼれ気味の中年たちの奮闘を見せ、宮崎や勝地らの世代を励ます、って感じに王道的な映画にして欲しかった。
・パンクバンドじゃなかった方が良かったかも。終盤、バラードとかで盛り上げられる、普通のロックバンドの方がよかったかも。
(2009/2/20)
「禅 ZEN」
鎌倉時代。仏道の正師を求め、24歳で宋へ渡った道元。修行を積んで悟りを得た道元は、帰国して如浄禅師の教えを打ち立てることを決意する。周囲には次第に道元の教えに賛同するものが増えてくるが、それを妬んだ比叡山の僧兵の圧迫により、道元たちは越前へ移る。永平寺を建立して門徒たちの指導に励む道元のもとへ、ある日六波羅探題の義重が訪れた。時の執権・北条時頼を怨霊から救って欲しいというのだ。道元は求めに応じて、鎌倉へと向かう。
★★★
(2009/2/17)
・冒頭、幼少の頃の道元の母の高橋恵子が「来世に行けば極楽浄土が待っていると言い、それを人々は信じているが、生きているこの世に浄土をもたらすのが本当だと思う。それを人々に与えるにはどうしたらよいか」といった問いを出していた。その問いが答えられると期待したのが間違いだったのかもしれない。
・いや、答えは、座禅をすれば得られるというものなのだろう。だが、それは答えとしていかがなものか。
・内田有紀演じる、生き延びるため子供の頃から泥棒をし、成長してからは、仕事もなく、結局、体を売って生き延びている悲惨な娼婦が登場する。彼女を救う形で答えが出てくるのかというと、結局は、彼女も出家して救われるというオチなのだった。ということは、みんな出家すれば救われる、出家しないなら救われないと、そういう教えなのか、ということになってしまうだろう。
・出家するしないにかかわらず、道元の教えを反映した生き方をすることにより、救われるとしないと、単なる、宗教宣伝映画に成り下がるのではないか。
・座禅により、自然な生き方を悟るというのを映画で表現するのは、確かに難しい。この映画でも道元が悟りの境地に達する夢幻的なシーンが出てくるが、蓮に座った道元が宙に浮かぶなどといった表現では、失笑せざるを得ない。ただ棚田に映る無数の月の映像には、好意的だ。
・藤原竜也が出てきて、悪霊たちに悩まされるところがあるが、これも笑いを取ろうとしているように見えてしまう。
・ラスト、永平寺からぞろぞろとリアルの僧侶たちが階段を降りてくるが、これも何かの悪い冗談にしか見えなかった。みな顔がうつろで、歩き方がだらしなく見えたのだ。
・ただし、宗教家の人生を描いているため、その、凛とした行動、清廉としたたたずまいなど、見ていて、汚い自分自身までも美しくなったような錯覚を得られ、その点で★は一つ増やしたい。
「ベンジャミン・バトン / 数奇な人生」
1920年代にF・スコット・フィッツジェラルドが執筆した、80代で生まれ、そこから若返っていくひとりの男の姿を描いた短編の映画化作品。普通の人々と同じく彼にも時の流れを止めることはできない。ニューオーリンズを舞台に、1918年の第一次世界大戦から21世紀に至るまでの、ベンジャミンの誰とも違う人生の旅路を描く。
★★★
(2009/2/16)
・「80歳で生まれ、普通の人とは逆に、歳を重ねるごとに若返っていく」という設定と、「彼を愛し、人生を交差させる女性が現れる」という予告編での情報から、普通に思い浮かべることができる、いくつかのエピソードや結末が、そのまま3時間近くの時間をかけて表わされる。やっぱりそうなるだろなあ、というのがスクリーン上に表わされ、流れていく。だから? という印象が残る。
・80年近い人生をアメリカの歴史を織り交ぜて語られていくが、歴史との関係性に何かメッセージがあるとは思えない。あるのかも知れないが、読み取れない。ただ、この時代には、ベンジャミンはこんなことをしていました、といった背景情報を提供しているに過ぎないように思える。
・ベトナム戦争や911は華麗にスルー。どうして? ニューオリンズを襲ったカテリーナのシーンで終わりとなる。やや不気味な暗い印象を残す幕切れ。だが、それに何か深い意味があったのか? 逆行していた時計があそこで止まったのに、何か意味があったのか? イラク戦争の兵士募集のポスターがあったが、戦争批判など、冒頭の時計職人の話しを除くと、この映画のほかのどこにも関係ない。一貫して底流にあるなどとなってれば話しは分かるが、それもない。
・老人として、老人ホームのようなところで育ったせいか、ベンジャミンは非常に慎ましく、温和な人格を持っているような印象。老成した傍観者。だから、主人公であるにもかかわらず、彼の人生にはあまり面白みがない(奇妙な設定を背負っているにもかかわらず)。
・むしろ、彼の人生に絡んでくる様々な人々がむしろ魅力的。赤子の時の彼を拾い、育てた黒人カップルや、船長、ロシアでスパイをしている夫を持つ人妻。彼等の方こそが主人公だったのかもしれない。
・雷に打たれる話しをする老人も、何かつながりがあったのか?
・その人妻を演じたティルダ・スウィントンは綺麗だったし、魅力的人物だった。
・第二次世界大戦中の洋上での戦いは、異様に迫力があった。光線銃のような光の軌跡を描いて飛んでくる砲弾にはビビッた。
・ケイトが足を骨折し、ダンサーとしての夢を絶たれる事故の描き方に「アメリ」のような遊びを感じた。だけど、だから? との印象も。偶然の些細な出来事で人生が変わるものだとでも、伝えたいのか? しかし、それもメインのテーマというには、他のエピソードの関連性が少なすぎる。
・いくつも意味がありそうなシーンやカットを混ぜているにもかかわらず、その意味が読み取りにくいか、あるいは、そもそも意味など考えていないのではないかと思わせる。意味があるとすれば、僕の読解力が弱いからか、演出が下手だからのどちらかだろう。意味がないとすれば、これだけ薄い内容にこれだけの尺をあたえるのもあんまりというものだろう。
「ハイスクール・ミュージカル/ザ・ムービー」
アルバカーキ大学バスケットチームへの進学が内定したのに浮かない顔のトロイ。ガブリエラがスタンフォード大学に合格した今、このまま進学したら、二人の距離は1600キロ。トロイは、このままバスケットを続けることにも疑問を感じていた。そんな時、なぜか学校行事のスプリング・ミュージカルのオーディションを受けることになってしまった。その舞台は、ジュリアード音楽院の奨学生の選考審査なのだった。
★★★
(2009/2/13)
・いきなり、タイトルで、High School Musical 3と「3」の数字が出てきてのけぞった。前知識をほとんど入れずに見に行った俺が悪いのか。
・ディズニーのケーブルチャンネルで、1&2を放送しており、それを受けての劇場版ということだったと、後になってから知る。だったら、邦題にも、「3」の数字を入れて欲しかった。
・ただし、1&2を知らなくても、人物関係とかの理解には全然問題なし。それほど、典型的キャラばかりが出て、ストーリーもありがちのラインを進みまくる。エえっ! と驚くことがない。「3」だったのか、と驚いたところが一番のサプライズだった。
・そして作り手は、それを自覚して、作っている。それは、作り手が、観客がそういうモノを見たがっていると想定しているから。
・観客が見たいものを想定し、それに沿った作劇を行い、キャラクターたちを動かす。その方針に間違いはないと思うが、その上で、さらにハジけたものを見せなければならないとしたら、歌とダンスの場面でインパクトを与えることだろう。しかも、高校卒業時の若者たちが主人公なのだから、その若者らしい躍動感で驚かすことが必要になるのではないか。だが、そこが、少々物足りない。ただ、ラストにかけての盛り上がりは良かった。