「グラン・トリノ」
「ザ・バンク -堕ちた巨像-」
「愛のむきだし」
「ウォッチメン」
「悲夢」
ある夜、別れた恋人を追って車を運転していたジンは、追突事故を起こす。しかし、恋人を見失わないよう再び車を走らせたところに酔った男が飛び出してきて―そこで彼は目覚める。落ち着かないジンは、救急車のサイレンに誘われるように車を走らせ…そこで見たのは夢で見た事故の光景だった。道路の監視カメラの映像から警察に拘束されたのはランという女性。夢遊病の彼女は、ジンの夢に呼応するように、現実に行動を起こしていた。
★★★★
・普通では考えられないファンタジーの設定で男女関係の深層を描くキム・ギドクの映画は、見た1時間後からズシリと効いてくる。
・美術系出身だけあって、小道具からセット全体、そして舞台となるソウルの古い町並みに至るまで雰囲気が濃厚。
・韓国人の役者たちが韓国語で話し、オダギリジョーが日本語で話し、普通に話が通じ合っている。最初は面食らう。が、テーマがコミュニケーションであるとするなら、この実験も許されるし、深い意味もありそうだ。日本語と韓国語の両方をまったく知らない人が、一番、良い鑑賞ができるかもしれない。
・夢を題材にした映画の場合、「夢か現実か」を軸にストーリーを組み立てるのが普通だが、本作では夢が別の人間を通して現実化するところがミソ。このアイデアは面白く、ドラマが生まれる。男(オダギリ)にとって嬉しい夢は、ヒロインの女にとっては最悪の現実となる。男は、夢を見ないようにとギリギリに苦しむはめになる。
・だが、夢を見ないようにするためにどうするかというと、ひたすら眠らないという方法に出るのであるが、ここが弱く、その後の映画がコメディなのかシリアスなのか曖昧になっていく。眠らないようにと、テープでまぶたを留めて目を開け続けるというのは、どうなのか?
・蝶のイメージが出てくるが、これは胡蝶の夢が下敷き。
・白と黒、夢と現実、男と女など、様々な対比がイメージとして出てくるが、その意味付けまでは、一回見た限りでは追えなかった。
(2009/4/1)
「フィッシュストーリー」
2012年、彗星の地球への衝突が5時間後に迫り世界が終わろうとする中、ターンテーブルから日本のパンクバンド“逆鱗”が1975年にセックス・ピストルズのデビューに先駆けて放った最後のレコード「FISH STORY」が流れる。1982年、その曲を聴いた気弱な大学生は、いつか世界を救うと予言され、2009年、正義の味方になりたかったコックと共にシージャックに巻き込まれた女子高生の未来は…。
★★★★
・伊坂幸太郎原作。「アヒルと鴨のコインロッカー」、「死神の精度」に続いて3作目か? 5月には「重力ピエロ」も控えている。確かにストーリー・テリングが映画的。積み重ねたエピソードが終盤にかちゃかちゃとパズルのように組み合わさっていくのは、見ていて気持ちいい。とは言え、この映画の場合のパズルの組み立ては、ある意味、行き当たりばったりである。それは原作者も、映画の作り手も、承知の上だろう。奇妙な(つまり論理的でない)つながりが、つながって、地球が救われることになるのだと。その点で、つながりが稚拙だと言う批判は的を射ていない。
・フィッシュストーリーとは、魚の話ではなく、「大ぼら話」という意味らしい。
・4つ(以上)の時代を並行的に進行させていく構造だが、理解しにくいところはほとんどなかった。4つの時代のうち、1975年の逆鱗によるレコーディング前後の話に一番尺が割かれている。画像にある二人がいい味を出している。
・この映画には、露骨に嫌なヤツが3人ほど出てくるが、意地悪なことに、そのうち一人にしかザマアミロといった制裁が加えられない。制裁を加えられるのが、2012年の場面で出てくる傲慢男。残る、1980年ごろの傲慢大学生と1975年のレコーディング・ディレクターには、たいした仕返しは描かれない。しかし、その点でのカタルシスがないことにより、甘く苦いリアリティが出ている。
・多部未果子の目つきには、中毒性がある。この4月からの朝ドラが楽しみだ。
・原作がそうなのか、いろいろと細かい、過去の映画のオマージュが出てくるのも面白い。
(2009/3/23)
「ドロップ」
不良に憧れて私立中学から公立に転校したヒロシ。赤い髪にボンタン姿で登校すると早速、不良グループに呼び出される。浮かれ気分でついて行くと、リーダー、達也に河川敷でボコボコにされる。しかし、その根性を気に入られ、ケンカの後、共にラーメン屋に。初日早々不良グループの仲間入りを果たす。ヒロシの生活は活気付き、達也らとつるんで他校の生徒とケンカの毎日。姉のユカとその恋人のヒデは、そんなヒロシを心配していた。
★★★
・映画放映や教育・情報番組以外テレビを見ないので、品川裕という吉本のタレントがどういう人物なのか、まったく知らない。劇場に行って、予想したのとまったく客層が違っているので驚愕した。結構、客が集まっている。感覚のずれを感じる。同種の「クローズ」(1作目)は監督関係で見に行ったが、そして、かなり面白いと思ったが、本作はどこかスタンスがずれている気がしてならなかった。
・集まっていた観客との感覚のズレなのか? 俺は老化したということか? 若いカップルが多い。役者目当てなのか?
・映画の中でドラゴンボールやガンダムの話しが盛んに引用される。ガンダムの話では客は盛り上がっていなかった。ボールとか量産型とかは、まだマイナーなのか?
・劇中、何度かコミックの画面と重ねあわされる。これには正直ムカついた。映画を見に来るんじゃなかった、同額の金を払ってマンガ喫茶でコミックを読んだ方が良かった、という気にさせられる。
・ストーリーもジャンプの王道路線と言ってよい。これは、ありきたりだと言うのと同義。特に後半に、あこがれの女性に振られるといった恋愛を絡めるとか、近い人が亡くなるとかが加わり、ありきたりさとあざとさが一気に加速する。ここで、冷めれば、本作は一気に駄作と判断される。だが、観客の多くは、むしろ、感動していた様子だ。
・本仮屋ユイカは、「ウザい」と彼氏に言われる女子高生を優等生的に演じていたが、それでは、最終的には「パッとしない」という印象で終わってしまうということが分かっていないのかもしれない。
・主人公とその対になる準主役は、ルックスも加わり一生懸命しているというのが伝わってくる。この二人はよかった。で、役者は、成宮?水嶋? って誰? 知らない。
・もうひとつ、遠藤健一と哀川翔が絡んで出てくるのだが、ここは正直、受けた。笑いたくねえと思っていたが、笑ってしまった。これで★がひとつ増えた。
・ケンカのシーンのアクションでは、アクションシークエンスの中に1回か2回、ロングショットを入れるべきである。
・ストーリーの作りはあくまで少年ジャンプ的であり、映画の構成は青春ものやコメディ・アクションもののあれこれを完全に踏襲。であるから、それなりに評価は高いとは思われる。いや、娯楽を求めての映画なんだからこれでいいのだろう。
(2009/3/23)
「ジェネラル・ルージュの凱旋」
東城大学付属病院の窓際医師・田口は「チーム・バチスタ事件」を解決した功績で院内の倫理委員会長になってしまっていた。そんな彼女の元に、“ジェネラル・ルージュ”と呼ばれる救命救急の速水センター長と医療メーカーの癒着を告発する文書が届く。それと時を同じくして告発された医療メーカーの支店長が院内で自殺。田口は院長の命で院内を密かに探ることになる。そこに骨折した厚生労働省の役人・白鳥が運ばれてきて……。
★★★★
・前作の「チーム・バチスタの栄光」は見ていない。テレビ局主導の、なんかのドラマの劇場版だろうくらいに勘違いして、敬遠したからだ。ドラマ劇場版ではなかった。評判のよかった「相棒」も劇場で見なかった。テレビ局主導というのに対する偏見を改めなければならないとは思う。
・ただ、ドラマ劇場版ではない本作も、匂いとしては、劇場版的な雰囲気を出している。その点はネガティブだ。
・コメディ風のキャラクターの導入、紹介、及び事件や対立関係の描写など、(比較的面白いといえば言える)テレビドラマの描き方を使って描く。これなら別に映画にしなくても、ドラマのスペシャル番組で構わないのじゃないかと思わせる。
・だが、主人公の速水(堺雅人)の真意が明らかにされていく中段あたりから、徐々に盛り上がりを見せる。特に終盤の、倫理委員会のシーンから事故がおき次々に患者が運ばれてくるあたりの盛り上がりは素晴らしい。見終わった後、爽快感を味わえる。
・速水のルージュ色の車が、誇りまみれで、周囲に雑草がぼうぼうと生えているのには、笑い、そしてジーンとさせられた。
(2009/3/17)
「ヤッターマン」
高田玩具店の1人息子のガンちゃんは、父親の開発途中のヤッターワンを完成させ、ガールフレンドの愛ちゃんと共にヤッターマン1号、2号としてドロンボー一味と戦っていた。ある日、考古学者の海江田博士の一人娘、翔子からドクロストーンを探しに行ったまま行方不明になっている博士を探し出して欲しいと頼まれる。ヤッターマンに変身したガンちゃんと愛ちゃんはヤッターワンを出動させ、一路、博士のいるオジプトへ向かう!
★★★★
・オリジナルのアニメのテイストを忠実に反映しようとしているスタンスが非常に素晴らしい。
・それは主役である、ドロンボー一味のキャスティングにも、背景にも、小道具にも、CGにも見られる。ドロンジョの深田恭子は、天才的な小原乃理子の声に比べれば、ちょっと力が弱いが、その弱点を埋める存在感を示している(でも、まだちょっと弱いか)。もう10年後くらいだとちょうど良いのかもしれない。
・オリジナルに加えて、三池崇史監督の底意地の悪い変態性が、この映画を底意地の悪い傑作にしている(何のこっちゃ:笑)
・ネタバレとなるが、変態性の数々としては、冒頭の戦いでのアイちゃんへの鉄棒攻撃。バージンローダーという名の女ロボットとヤッターワンの絡み(小型ロボに食い荒らされる女ロボットを見て、犬ロボが発情、最後には一緒に逝ってしまう)。海江田博士の娘の手荒な扱い。「全国の女子高生の皆さん」の妄想の具現化(これはシュール・アートに匹敵する画像だった)、などなど数々。
・ジャニーズのアイドルを見に来た若い女性や、子供づれの親などは、確実に引いてしまったことだろう。だが、そういうタイプの観客のいたたまれない気持ちを想像しながら、リアルにアニメを見て楽しんできたオジサン世代が見て楽しむという、倒錯した楽しみ方すら可能にしており、案外、重層的なつくりになっている。そこが、一番の評価点だ。
・深田のコスチュームは、ちょっとした薬味に過ぎない。
・ただ、オリジナルを知っている者としては、もう少しギャグのテンポが速くても良かったのではないかと感じられた。初めてヤッターマンのことを知る観客への説明が必要だったのか。だがまどろっこしい。
・同じく、ドクロベエの扱いにも疑問。ここはオリジナルとずれているところだった。オリジナルでのドクロベエは、基本的に、ドロンジョたちにお仕置きを与えることが楽しい、「意地悪上司」的な存在だったのであり、上司に急かされ、いざ働けば、悪役なので、善玉のヤッターマンたちにやられる定めのドロンボー一味が良かったのである。ドクロベエを極悪な存在にしてしまうと、この構図が崩れてしまう。
・「天才ドロンボー」を歌うシーンは嬉しかった。アニメの別のエンディングだった「もう、こんなに有名よ♪ どろんぼーよー♪ 悪役、主役よ♪ モテモテよー♪」の曲もやって欲しかった。いや、続編に期待しよう(あればの話しだが:笑)
(2009/3/9)
「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」
ザ・ローリング・ストーンズのライブを映画として撮り上げる企画が立ち上がった。監督のスコセッシは撮影するライブを、ミックが予定していたリオでの野外コンサートから、NYのビーコン・シアターでのライブに変更。以後ライブ当日まで、ストーンズとスコセッシの演出に対するせめぎ合いが続いた。そしていよいよ幕を開けるライブ。「Jumpin' Jack Flash」のギターリフが大歓声の中に鳴り響きわたった…。
★★★
・基本的にライブのドキュメンタリーなので、映画的にどうのこうのという映画ではない。
・ストーンズの現在を見て、それぞれに驚き、音楽に乗り、感動すると、それだけで充分だろう。
・ただ、序盤と最後、スコセッシが出てくることに何か意味があったのか。まったく不要であったし、つまらなくする要因でもあったと思う。スコセッシが単なる出たがりにしか見えないからだ。
・驚くべきはミックジャガーの身体であり、声である。
・多くのロックグループが消滅していった中、ストーンズが今だに存続できているのはどうしてなのか。若い頃のインタビューは、アホっぽい。
・そもそも、あまりローリングストーンズに関心がなく、知ってる局も2~3曲だけだったが、それでも、楽しかった。大音響と大スクリーンで見て、ライブ感を堪能する映画ということなのだろう。安くライブを見たというお得感がある。
・途中、カントリ&ウェスタンの曲が入るが、あれが一番良かった。
(2009/2/25)