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「スチームボーイ」

相変わらずgoo映画からのあらすじ引用:

19世紀、産業革命時代のロンドン。第1回万国博を控え、街は人々の活気であふれていた。発明一家の三代目レイ少年も、毎日を自作の発明品と格闘しながら暮らしている。ある日レイの元に、渡米中の祖父ロイドから風変わりな金属ボールが届く。そこにオハラ財団を名乗る男たちが現れ、ボールの引き渡しを求める。戸惑うレイの前に現れたのは、なんとロイド本人だった。「ボールを渡してはならん」という祖父に促され、わけもわからずボールを抱えて逃げ出すレイ。そのボールこそ祖父と父の画期的発明“スチームボール”だったのだ!
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僕の場合、大友克洋と言うと「童夢」を思い出し「AKIRA」を思い出します。共に青年向けコミックに書かれていた方のです。アニメのAKIRAは、特にアメリカで絶賛されたけど、アレもダメダメでした。大友のアニメではMemoriesが良かったかな(これの中の「大砲の街」の拡大判がこの映画と言ってもいいと思う)。そういう大友=サイキック・パンクとの刷り込みができているアタクシにとって、これは一体何なのだ、大友は伸ばすべき方向を間違ったんじゃないのかと、唸ってしまう映画でした。作ろうとしているのは少年向け冒険活劇なのでしょう。それを圧倒的な画力で描いてみましょうということなのでしょう。ついでに機械と言えば歯車で動き、蒸気機関が基本動力で、発明が好奇心溢れる庶民にも成し遂げられる時代に対するノスタルジーを駆り立てましょう(あるいは、その原点に戻ろうぜ、というメッセージを送りましょう)ということなのでしょう。が、それをどうして大友がしなくちゃいけないのだ。大友はそういうのが得意じゃないように思うのだが。ていうか、そういうのだったら手塚治虫がいたわけだし、宮崎駿がラピュタあたりのときにやろうとしたことじゃないかと思うのだし。いや、手塚なき後、宮崎がややこしい方向に変わっちゃったので、隙間的に大友がそれをやろうとしたということか? いいよ、しなくても。それに、宮崎ならこういう少年主人公の冒険活劇は(未来少年コナンやルパンなどで)訓練が出来ていたが、大友にはその面での技量をつけた経験があったのか? ないよ。大友は宮崎駿になりたかったのか? ならなくていいのに。

何が悪かったのかなあ。ストーリーラインはいいとして、細かなセリフがいかにも二番煎じっぽい。いや、ストーリーライン自体、やっぱりありきたりな科学観で見ていて、あーあと言ってしまう。それに役者が変なのだ。

ああ、そうなのだ。いま思い当たった。役者がギクシャクしているのだ、この映画では。アニメで役者も何もないと思うが、言い換えれば、出ているキャラクターの発声の仕方(これは声優の問題)、キャラの手足の動かし方、きめセリフの言い方、その時の表情、体の動かし方がすべて変というか古臭いのだった。アニメで登場人物たちに「演技」をさせているのは100%作り手であるのだから、これは作り手たちが勘違いしているとしか思えないのだった。例えば、ある登場人物が大言壮語を語るとき、どんなポーズをとるだろう? いまどき、両手を広げて、昔の独裁者の演説のようなポーズを取るだろうか? それで通用するのは昔のアニメにでてくる典型的独裁者キャラであり、今はそれじゃあ失笑してしまうはず。実写映画でそういう演技をしたら、その役者はへぼと言われるはず。たとえ少年少女向けの映画であっても、もう少しソフィスティケートされているもんでしょう。だが、この映画の場合、キャラたちはありきたりのポーズをして、ありきたりの表情で、「演技」をしているのだった。定型化した演技ばっかり。

なお、歯車や古風なロボットや、弾丸列車などのイメージは、「キャシャーン」にも、この映画にも出てきたけど、ああいう19世紀末~20世紀初頭のSFに出てくるようなイメージは今の流行なんでしょうか? そうかも。

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